学習の結果か遺伝か
できること/できないことの境目は?
自分は,臨床現場で仕事をしていると,目の前にいる「この人はなにができるのか」をよく考えます。
なにができるのかは,「なにをさせるか」ということではないのは理解していますが,どうしても,「なにをさせるか」を考えがちです。
例えば,お母さんに連れてこられたお子さんの立場で考えてみます。
本人の考えと親の考えを両方聞くことになります。
そうなるとたいてい,親がこうしたい,こうさせたいということがメインに話されます。
(例えば勉強をしないので,させたいなど)
確かに勉強はした方がいいし,その方が将来の道も多いと思います。
でも,そこで考えるべきは,なにができるか,なのかなと。
先日お話を聞かせてくれた方は,
「ここまではできたということを認めてほしい,もっともっとと周りはいう。そのもっともっとという言葉はよくわかる。そうしたいし,そうしなければならない。でも今ここまできた事実があって,それを小さいけど積み重ねて,そのもっともっとに近づけている。それをなかったことにしないでほしい」
と訴えていました。
(ほかのスタッフへの苦情を聞いていた時の内容をデフォルメしています)
できること,これからやれそうなこと,は両方その人の中にあるのだなと,ふと思いました。
では,現状できないのは,なぜなのか。
今までの学習のせいなのか,それとも遺伝的要因なのか。
もし遺伝的要因であるなら,それはあきらめることなのか。
それもその本人の意思によるのか。
いまはこの辺りで考えをまとめています。
まとまりがないないようになりましたが,またなにか思ったことが出たら書こうと思います。